祖父の葬儀

メチャクチャ眠いが、ある程度定期的に書かないと一生書かなそうなので祖父の葬儀について書き殴る。(後で清書とかするかも)

 

・前夜:散々だった、早めに寝たのだが蚊の飛ぶ音がうるさすぎて4時に起きる。蚊取り線香を炊かなければ二度寝できなかったかもしれない。

 

・朝:昼が遅くなる可能性を考え、朝はベーコンチーズ食パンを二枚食べる。父と共に電車で葬儀場へ

 

・葬儀場:今まで祖父の親類等にはあまり会ったことがなかったが、葬儀場には自分たち家族以外にも十人ほどの人間が来て思いの外賑やかだった。

会ったことは無かった伯母などが来た。祖父の兄の娘に当たる人で、祖父に世話になったりしたそうだ。

母の話ではいい話を聞かなかった祖父だが、そう言うこともあったらしい。

 

告別式:姉も来ており、我が家の家族勢ぞろいだったらしいことを後で知った。

僕は死を前にして色々考えてタナトフォビアっていたが、祖父の安らかな死に顔を見てだいぶ落ち着いた。

死にゆく顔があんなに安らかなのなら、いつか来る己の死を受け入れることもできるのかもしれない。

 

・火葬:棺を運び、火葬場へ運んで行った。

火葬されている間に昼食。持って帰りやすいようにという母と叔父の手配の下手配されたお弁当を食べた。ビールも結構あったが、我が家ではあまり飲む人はいない。(今や自分が一番呑むかも…)

火葬が終わると、骨壺に二人の箸で骨を入れる。あの安らかだった祖父の遺体が、あっという間に骨のみとなった事に無常を感じながら儀式を終えた。

 

・納骨

そのまま骨壺をお墓へ納めに行く。

立派な墓であった。墓標の下に骨壺を収めるギミックになっていることを初めて知る。

 

・帰り

車で父と二人で家に帰る。昼にビールを飲んだのは失敗だった、父のみに運転させてしまった。

父と二人きりになったので色々話した。

内定がもらえたこと。東京で済むならどこか。東京の地理、埋め立てられて作られた東京の地盤の事。(地震の時、スカイツリーが無事か思わず確認したそうだ。)山手線の歴史、ヘラ太陽に見えて高低差(本郷台地)があること。上越新幹線が通り、バブル期はみんな新潟にスキーに行っていたが終わるとさびれてしまったこと。リニアが山梨を通る経緯。

面接では声を張る事:やはり、声を張ることを意識した方がいいらしい。反射で確認できるので壁に向かって話す事も有効なようだ。

ダウンタウン浜田などを参考にすると良いと言われた。(父の観察眼は鋭く、お笑いコンビはコンビで声の強弱に差を付けて聞きやすくしていることなど考えて聞いているようだった。)昔学校に行こうでお笑いを目指す学生が出てきた際、学生の声の張りが足りないので芸人に良く聞き返されていたことなど忘れていた。

 

・帰宅

祖父の写真や弁当などを家に持ち帰る。

大きな弁当だったので、夜は鰻弁当一つを兄と分けるので精いっぱいだった。(そういえば写真を撮るべきだった。)